解読文
原文
此反別[註1]百弐拾三町九反五畝三歩、内 田方 八反九歩、畑方 百廿三町壱反四畝廿四歩
石盛 屋敷 九つ、七つ、七ノ下五つ/下 四つ、下々三つ/林 弐つ、野弐つ
現代語訳
私どもの村の田畑の面積は一二三町九反五畝三歩で、そのうち田地は八反九歩、畑が一二三町一反四畝二四斗です。
石盛は(一反当たりに付き)屋敷の家構えは九斗、敷地内にある畑は七斗(の二種類で設定)。畑は(等級別に)中ノ下畑は五斗、下畑は四斗、下々畑は三斗、林畑は二斗、野畑は二斗(で設定。敷地内のそれぞれの面積にこれら石盛を乗すると石高が算出され、総計すると村高になります。)
私どもの村は、飲料・農業水として四ツ谷御上水を利用しています。田畑に課せられた以外の雑税はありません。家数四五軒。東海道や日光街道などの道中は通っておりません。
解説
補註
- 反別(たんべつ):田畑の面積
- 上水(じょうすい):江戸に飲料などとして、管や溝を通して供給されるきれいな水を導く水路。
- 小物成(こものなり):本物成の対語。本年貢以外の山野・河川・海などの収穫物や産物に課せられた雑年貢の総称。
江戸の上水道
江戸の主要な上水道は、玉川上水(四ツ谷御上水)と神田上水。玉川上水は多摩川(羽村市)から江戸南部方面(立川市・小平市・三鷹市など)に配水されました。神田上水は、武蔵野市の井之頭(いのかしら)池から江戸北部方面(神田・日本橋・京橋など)に配水されました。
概要
村明細帳 本文冒頭により、村の基本情報が記載されています。
江戸時代の平均耕地面積五〇町。当村は平均の二倍以上ですが、田地少なく、畑が八割以上占めています。農村戸数は平均四〇~五〇戸、武州男衾郡板井村(埼玉県熊谷市)四〇軒、同州幡羅郡四方寺村(同市)一三軒。当村の家数は平均と重なります。
史料情報
- 小平市立図書館所蔵 當間家文書『村方銘細帳』(D-4-4)
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村明細帳
4.鷹場、御林、水車 5.圦樋、城跡、御巣鷹山