くずし字で楽しむ江戸時代

古文書ネット

  1. HOME
  2. 浮世絵
  3. 安政見聞誌

安政見聞誌5

岡場所とは 深川仲町の賑わい

史料

深川櫓下の賑わい

深川仮託と周辺の賑わい_安政見聞誌

※無断転載禁止

くずし字拡大

くずし字拡大_深川仮託と周辺_安政見聞誌

※無断転載禁止

解読文

原文

凡うき世の容(さま)お見るに深川仲丁やぐら下の辺(あたり)は、未年の地震火災(かじ)にこり、野京のごとくなりしが、仮宅の家並(いえなみ)美々しく雅客(がく)の往来(ゆきし)たゆるときなし

其上不動尊(ふどうそん)の開帳に御礼弥増(いやまし)のくんじゆとなり、針(はり)を立てける地もなし、けにも大江戸のはんぜうおは後(のち)の世の害にかくは、しらしはぐるなり

現代語訳

およそ浮世のさまを見るに、(現 江東区)深川櫓下辺りは、年(善光寺地震:弘化四年三月)の地震火災にこりて野京のごとくなった。

しかし仮宅(かりたく)の家並は立派で、風雅な人の往来は絶える時がない。そのうえ(成田山 深川)不動尊の開帳に、御いよいよ多くの群集となり針を立てる地もない。まことに大江戸の賑わいは後の世の災害に関わるが知らし損なう。

解説

吉原の歴史

日本橋近くの吉原は、江戸唯一の公認の遊里。明暦三年(一六五七)の江戸大火により同年幕府は、浅草(台東区)へ強制移転させました。以来これを新吉原と呼び、以前の地を元吉原(もとよしわら)と言いました。

史料にいう「仮宅」(かりたく)とは、浅草にあった吉原の遊郭が火事で焼けたとき、再建までの間、吉原以外の一般住宅地内で仮営業を許可されていた臨時の遊郭。江戸時代の吉原の火災は三六回、うち全焼が二一回ありました。かくして江戸末期の吉原は「岡場所」におされて昔日の輝きを失いました。

岡場所

岡場所(おかばしょ)とは、吉原以外の売春街。幕府非公認の遊里のため、やましさを伴いますが遊興費は安く、堅苦しさがありません。最盛期には二〇〇か所近くの岡場所があり、その代表格が品川・新宿・板橋・千住の江戸四宿と深川。

四宿は市外で、飯盛女として定員が決められ売春を黙認されていました。これにより吉原最大の敵は深川で、一般の人気ではむしろ優れていました。岡場所の多くは寺社地にあって町奉行の支配を逃れていましたが、天保の改革で深川ほか二八か所が摘発され、市内の岡場所はなくまりました。

史料

史料にいう「深川仲丁(町)」(なかちょう)は、(富岡)八幡宮創建以来の歴史古い深川の岡場所で、仲丁は第一の盛り場でした。「やぐら下」(櫓下)は深川永代寺門前にあった私娼窟の称。

安政地震で深川は最も被害が大きかった地域であり、史料の絵は世のいましめに地震前の様子を描いたもののようです。また史料よろしく妓楼はどれも二階建てでした。

参考文献

花咲一男(監修)「吉原の歴史」「岡場所」『大江戸ものしり図鑑』(主婦と生活社、2000年)404-405頁、434-435頁

史料情報

  • 表題:安政見聞誌 上
  • 年代:-(江戸時代)/一勇斎国芳・一度斎芳綱・鶯斎国周 画
  • 埼玉県立文書館寄託 小室家2743
  • 当サイトは同館から掲載許可を頂いてます。
  • ※無断転載を禁止します。

安政見聞誌

1.概要 2.京橋 3.深川 4.生きた心地なし 5.岡場所

6.遊郭 7.被災者 8.倒壊の家々 9.川の氾濫 10.施餓鬼

11.岸辺の被害 12.仮屋 13.余震記録

関連記事

花魁と禿(はしか絵)/女大学お稽古音楽活動